2024年度卒業式
卒業式がありました。
和光中学校の卒業式では、在校生と卒業生が歌と言葉を贈りあいます。
3年生が、最後に伝えた言葉をご紹介します。
------------------------------------------------------------------------------------
和光生らしい和光生
「和光の生徒は本当に活発に意見が出るよね」「意見を言うのが得意な子がたくさんいるよね」
そのようなことをよく言われる。私は声を大にして言いたい。そんなことはない。実際に、私は意見を言うことが大の苦手だ。和光中学校では毎日のように、それはもう頻繁に意見を求められる場面がある。例えばHRでの話し合いや授業での先生からの問い。そこで意見を言うことが苦手な私は毎回、肩をすぼめて手遊びを始めるのだ。私にとって意見を求められる場は毎回居心地が悪かった。だからこそ意見の求められることの多い和光は私には向いていないし、和光生らしい和光生でないと、いつしか考えるようになった。
「声の大きい人が得をする」という言葉をよく聞く。そうかもしれない。たとえ心のなかでいくら考えているとしても、心の声は他の人には聞こえない。何らかの手段で声を上げなければ一つの意見にならず相手にも伝わらない。そうなのだとしたら、意見をはっきり伝えることができて主張の強い人が得をすることが多いといわれるのはわかる。声の大きい人は実際の人数より多く感じる。波が広がっていくように、声の大きい人の意見が広がっていく場面を私は何度か目にしたことがある。
声の大きい人つまりこの場合、意見を主張できる人が得をしやすいのならば、意見交流の場が多い和光はさぞかしその傾向が強いと思われるだろう。しかしながら、そうしてはくれないのが和光中学校だ。意見を言うことが苦手な人も放っておいてはくれず、その小さな声をなんとか拾い上げようとしてくる。だからこそより多くの人の意見が出ずにはHRは終わらせないし、終わった後も「HRで言えなかったこと、考えたことをかいてね」と紙を配ってくれる。そのようなHRを私は億劫に感じていた。
しかし私のHRに対する消極的な姿勢は二年生の集中HRがきっかけで変わった。その時の私のクラスはクラス替えをしたばかりというのもあり、色々とごたついていた。思い返すと壁のようなものが確かにクラスメイトの間にあった。そのような中で開かれた集中HRではみんなが意見を言うことが求められた。その時の三役のみんなの意見を取りこぼさずに聞こうとしてくれる一生懸命な姿勢はとても印象的だった。三役がそう頑張ってくれたおかげで初めてクラスメイトの本音を聞くことができ、私も本音を伝えることができたのだ。その時、「よくわからない人」から「クラスメイト」へ変わったのだと思う。そして、今までの私のHRに対する消極的な姿勢を思い返しても、三役の声を拾おうとする姿勢とはあまりに対照的で恥ずかしくなった。私は意見を言いたくないがあまり、大したことのない言い訳を探して並べて、話し合いから目を背けていたに過ぎないのだ。そう気づいてからは積極的に意見を言おう、クラスの話し合いに参加しようと意識し始めるようになった。
この中学校で過ごすことのできた私の何よりの獲得点は意見を発信することの訓練ができたことだ。そして、その事により得る効果をよく理解できたことだ。意見を言うことは今でも苦手だ。きっとこれから先もこれは私の特徴としてつきまとうのだろう。それでも意見を発信することは他の人を知ることであり、自分を知ってもらうことであり、挑戦する価値のあるものであると今の私は知っている。だからこそ私は意見を言う恐ろしさを抱えていても勇気を持って私の意見を主張したい。
意見を言うことが苦手な私だからこそ、意見を求められる和光で中学校生活を送ることができてよかったと思っている。適材適所でなくたっていいのだ。たとえ鳥が海に放り投げられても、もしかしたらペンギンのように泳げるようになるのかもしれないのだから。
だが、私は和光中学校を卒業してしまう。このようにして小さな声を拾おうとしてくれる環境は後にも先にももうきっと少ないのだろう。卒業が近づく今、私は特に強くそう考えるようになった。どんなことでも「やってもらう」という受け身な姿勢で胡座をかく時期は過ぎ去り、大人になっていくことを実感する中学校生活だった。意見をいうということに対して、最も重要な0から1へのステップは踏むことができたのだ。これからは意見を求められる環境に甘えることはできない。私は和光で培った力を糧としてこれからも歩んでいきたいと思う。
(3年生 女子)
------------------------------------------------------------------------------------