3年生 作文 「日本一めんどくさい中学校」

和光中学校の3年生は、卒業前に「15歳の主張」として全員が作文を書きます。

「15歳」のこの瞬間に何を見つめ、何を考えているのかを一人ひとりが綴ります。

生徒たちが選ぶテーマは、自分自身のことや家族のことから日本社会や世界情勢までさまざまです。

そんな「15歳の主張」の一編をご紹介します。和光中学校について書いた作文です。

タイトルは「日本一めんどくさい中学校」。


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 私の通っていた幼稚園の園長先生が、「日本一めんどくさい幼稚園」という本を書いた。今、通っている和光中学校も「日本一めんどくさい幼稚園」ならぬ、「日本一めんどくさい中学校」だと思う。3年間和光にいて、特にめんどくさいと思うことが2つある。

 1つ目は、話し合いがとにかく多いことだ。小学校の頃は、個人やクラスが問題を起こすと先生が怒っていた。怒られた生徒は謝り、解決する。というやり方だった。それが普通だと思っていた。先生が怒るだけで問題が解決するなんて、めんどくさいの「め」の字も無い、単純明快な解決方法だ。

 しかし、怒られた生徒は謝るものの、納得のいった顔をしている人を見たことがない。小学校は楽しかった。しかし、小学校は平たく言えば、先生が生徒を押さえつけるようなやり方だ。このやり方は、めんどくさくない。めんどくさくないからこそ、得られるものが少ない。薄っぺらいと思う。しかし、和光中学校は違った。カルチャーショックを受けるくらい世界が違った。とにかくめんどくさい。和光の話し合いは、数学や理科などで答えを導くために話し合うのはもちろん個人の問題も、クラスの問題も、学年の問題も生徒が話し合う。問題解決のための話し合いには、明確な答えがない場合もある。1人1人の意見は、その人なりの正解だ。しかし、1+1=2のような、明確な答えはない。だから話し合いのテーマから脱線したり、ダラダラ話し合うこともあった。何度も「なんでこんなに小さいことで話し合うんだ…」と思った。

 和光のめんどくさいところ、2つ目は和光が「自由すぎる」ということだ。ルールに縛られるのは嫌いだ。しかし、自由だと自分でやるべきことを考えなくてはいけない。和光は自由すぎて、自由に行動することが逆に難しかった。とくに部活は、自由練習の時何をしたらいいかわからなくて困ることもあった。私は人から言われたことをやるだけで自分でやるべきことを考えることができていなかったことに気づいた。

 和光はめんどくさいことだらけだ。しかし、めんどくさいからこそ、得られたものがたくさんある。そのうちの3つを話そうと思う。

 1つ目は、たくさん話し合ったことで、いろんな視点から考えることの大切さに気づいた。例えば、秋田の前の学年総会でのことだ。「なぜ迷惑行為をやめないのか」という質問に対し、「あまり注意されない。だから注意して欲しい」と言う意見を聞いて、困っている側も注意できていないことに気づいた。また、いろんな視点から考えるためには意見を出さなくては成り立たない。本音で意見を交わし、話し合うことでお互いに納得のいく結果に近づく、ということにも気づけた。

 2つ目は、自分でやるべきことは何か、考えるということだ。なんでも人に聞いているばかりではなく、自分で考え行動するほうが記憶に残りやすく、考えて行動したことが実った時は、心の底から喜べる。

 3つ目は、自分と向き合うということだ。

 私は和光に入って、自分について考えるようになった。その中で1つ考えついたことがある。

 それは、私の優しさは「弱さ」ということだ。

 私は、「ありがとう」って言ってもらえると、うれしいし、助けてよかったって思える。これは紛れもない本心だ。しかし、これがすべてではなく、ほんの少しだけ、心の奥に「誰かに認めてもらいたい」って思っている部分がある。これは自分の弱さからきていると思う。私の弱さは「自分に自信を持てない」というところだ。私は「優しさは弱さ」を脱却して「優しさは強さ」に変えたい。そのために自分に自信を持ち、堂々としている人になりたい。

 小学校のころはなんでこのルールがあるんだろうって思ったことはあまりなかった。日常の中でこれはおかしいと気づくこともなかったと思う。和光中学校で学力だけでなく、人生をよりよくするための考える力を身につけることができた。私はこの「日本一めんどくさい中学校」に入学できてよかったと心の底から思っている。

(3年生女子)



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