3年生 秋田学習旅行の作文

12月の学校説明会でも発表した秋田学習旅行の作文をご紹介します。


認め合って生きるためには 〜善い生き方ってなに?〜 

3年女子    

 いろいろな生き方があるんだ。それが秋田学習旅行で受けた一番の大きな印象だった。わたしは秋田に行く前、正確には渡辺哲さんの話を聞いた時から、今回のテーマの面白味と同時に複雑さゆえの近寄り難い空気感を感じていた。わらび座団員の生き方と農家としての生き方のギャップについて考えていたからだ。一方は元の土地や状況を抜け出して自分の道を進む人々。もう一方はどうにか土地を守ろうと根を張り踏ん張っている人々。生き方が違いすぎる。そしてどちらも力強い尊敬する生き方だ。どちらかの素晴らしさについて話す時、もう一方を否定してしまわないか心配だった。またその二つの生き方は共生できるのかが疑問だった。でも、秋田で過ごす中で、「この二つは複雑な関係だ」と思いすぎていたことに気がついた。ことは込み入っていながらも核とのなる部分は明快で重なっていた。そのことに触れた上で新たに出てきた問いについて考えたい。
 自分の仕事に誇りを持って一生懸命でいるというのが共通点だと思う。誇りを持っているからこそ他の仕事をする人「違う立場で同じように誇りを持って生きている人」を認められるのだと感じた。わたしが無意識に隔てていた二つの生き方。そのほかの無数にある生き方もきっぱり線を引いて分けることはできないのだ。それはつまり「良い生き方」「悪い生き方」と優劣をつけることもできないということ。それを前提とした上であえてここからは生産者と消費者の二者に分けて見ていきたい。 
 お世話になった米農家の佐藤さんが「消費者ともっと伝え合わないといけない」と話していて、そのプラスの姿勢に私は衝撃を受けた。日々不満に思っていることはたくさんあるはずなのに、消費者と目線を合わせて「消費者」という立場すら認めていたからである。またそのように個でつながることが、認め合える社会に近づくのかもしれないとわたしは共感した。 
 そんな強い思いで広く構える佐藤さんほか生産者とは裏腹に私たち消費者には全く伝えるという考えがないように感じた。生活に必要不可欠の米に対してすら完全な受け身となり「どうやって作られているのか」「こういう作り方にしてほしい」などの考えが浮かばない。本当は一直線で繋がっているはずの生産と消費がわたしたちの頭の中でつながらないのはなぜだろう。その一因に「お金」の存在があるとわたしは考える。お金で取引しているというわりきれた強い意識がわたしたちを受け身にさせる。思考の隙を与えない。 
 佐藤さんは「安いものを買った方がいい」といった。三班の受け入れ先の東風平さんは「安さだけが良さではない」といった。一見真逆の事を言っているような二つのことば。だけどわたしには、一つの事をつたえるために使われた同じ意味のことばだと感じられる。それは「値段だけが価値を測るものさしではない」ということ。形が悪くて安くなっているけれど同じ手間をかけて育てられた。 
 ほかと同じようにおいしいリンゴ。無農薬で育てているからほかのものよりどうしても値が張ってしまうお米。生産者の「値段以外を見てほしい」という思いは定価のようなある程度の値段を必要としている消費者には届かない。消費者に伝えたいことという質問にどこの受け入れ先の方も口をそろえて「少しの量でも売らなくても農業をやってみてほしい」と答えていた。作物を育てるというのはお金以外のものさしを手に入れることなのだと思う。「雨ばかりで苦労した」「少しだけど実ってくれてうれしい」など難しさと喜びを実感することでわたしたちは生産と消費を繋げて考えられるようになるだろう。 
 これは作物だけのはなしではない。食べ物だけのはなしでもない。切り離せないはずの生産と消費が切り離されすぎているこの社会がこわい。周囲にあふれている「もの」を作った人がいるのにその人の事を考えていない自分がこわい。だけど前で述べたようにすべて自分でやってみる、なんてもちろんできない。服を縫って、家を建てて、井戸を掘って、薬を作って、役を演じて、野菜を育てて…。やっぱりできない。お金も技術も時間もない。だからわらび座ではたらく人と農業をする人がいるように、それぞれが別の道で別の生き方をしている。その支え合いのおかげで今の社会があるのだ。一生懸命生きているみんながなるだけ幸福で居られるよう存在を認め合える社会であって欲しい。そのためにわたしは、せめて物を買うとき、消費するときはそれだけの生産の場があること。もっといえば生産者がいることを意識した。それは「どんな作られ方をしているのか」「どんな思いが込められているか」を考えることで「不当に働かされている人はいないか」「このままでは困る人は居ないか」と考えること。まだ15歳でも子どもでも世界がみんなにとって心地良い場所にするために、できることは絶対ある。 
 そう思えたことがわたしの秋田学習旅行での学びだ。

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