3年生 「15歳の主張」発表会

3年生は、卒業文集として「15歳の主張」と題し、中学校生活最後に伝えたいことを文章にまとめました。
この日はその発表会として、体育館にて、保護者の方もお迎えし、学年を代表する12人がその作文を発表しました。




 
  • 「リュックと私」
  • 「他人と虚像」
  • 「僕は兄には勝てない」
  • 「最強の変人」
タイトルだけ見ても、ワクワクしてきませんか?

3年間一緒に過ごしてきた仲間の主張に、どの生徒も真剣に耳を傾けていました。
以下、その作文の1つをご紹介します。


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おじいちゃん、あのときなにしていたの?  3年生 男子

僕は楽観的に現状を眺めているだけで良いのだろうか。せっかく、環境問題に対抗する策を考えられる知恵とそれを共有する言葉や仲間を授けられた生き物なのに、大切な時に有効活用せず、最終的には地球の生命と共に、結局愚かなまま死んでいって良いのだろうか。
今、僕たち人間は5年後、10年後の事も考えることもできずせかせかとたとえば地球温暖化という環境破壊に無意識に加担している。ホセ・オルテガ・イ・ガセットというスペインの哲学者は「私は、私と私の環境である。そして、もしこの環境を救わないなら、私をも救えない。」と、彼自身の環境についての考えを述べている。僕はこの考えに賛成だ。環境問題は僕たちがこれから生きていく上で当然関わっていく問題だ。歳をとった今の政治家は、地球温暖化が目に見える形で人に影響を及ぼす時には死んでしまっているだろうから、関係ないといえばそうだろう。だからこそ、若者が政治や環境問題に興味をもって自分で自分の未来を作らないといけない。
だが、去年の衆議院選の10代の投票率は43%、20代は30%だ。政治を決める中心にならなければいけない年齢層の投票率にしては低すぎる。れいわ新撰組の山本太郎代表は、若者が政治離れしている現状について質問された際、こう応えている。「それは、若者自身に責任があるとは全く思っていません。この社会に出るまでに受ける教育などに責任があると思います。政治参加というものがどれくらい重要であって、自分自身がこの社会を動かし、決める一人である、という教育を受けた記憶は私の中にはないです。若者からエネルギーを奪っているのはこれまで大人達が作ってきたこの社会なのかなと思います。」
僕はたまたま、学校だけでなく周囲の大人にも恵まれ、政治や環境は自分達の日々の生活に直結しているということに気付けたが、山本代表が言うように、社会の仕組みのせいで、このことに気付けない人は多いのかもしれない。でも、だからといって社会が再構築されるまでは、環境が破壊されてもしょうがないよね、と言っている場合でもない。のほほんと生きずに自分で気付かなければならないのだ。気付いて行動しなければ。
行動といえば、目立つのは30年前からのセヴァン・スズキさんや、スウェーデンの環境活動家であるグレタさんの活動だったりするが、目立たなくても、ただいつもより少し節水を心がける、いつもより少しエアコンの使用頻度を気にかけてみる、などすぐにできることでも皆が意識すれば、結果は変わってくると僕は考える。それでも、解決には至らないだろうから今までよりは我慢する生活が続くと思うが、エコバックを持ち歩くのがめんどくさいとか、好きなだけ輸入肉を食べたいとか、そんなこと、温暖化によって氷が溶けて消えたホッキョクグマの前で、常に飢餓状態で、生まれてから満腹感を一度も味わったことのない子どもたちの前で、言えるのだろうか。それがもし自分の家族だったら?恋人だったら?友達だったら?
だめだ。そんなことはあってはならない。ネイティブアメリカンは橋を渡したり道を造ったりするときに、七代先の子孫にとって善かどうかを考えてから行動するという。卒業まで生きているのかすら、今の時点では分からないけれど、僕は僕なりに、世界に抗い続けなければいけない。たまたま生きながらえて、たまたま子どもに恵まれて、たまたま孫にも恵まれたとき、「おじいちゃん、あのときなにしていたの?」の問いに、胸を張って孫と話せるように。

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